コラム

  • 2020.06.01
  • コラム

岡耕平先生のこどもの見立て学 その4

「人と環境」

前回はこどもの行動について「なぜ?」と「どうすれば?」という2つのアプローチがあるという話を書きました。
今回は「その子の問題なの?」それとも「その子を取り巻く環境の問題なの?」という2つの見方について書きます。

一般的に、子どもが何か問題を起こしたとき、多くの人はその子ども自身に注目するわけです。

ある集団の中で、1人だけが違う行動をしたときなんて、特にそういう目線で見られてしまいます。「あの子、変じゃない?」「普通はあんなことしないよ」なんて。「変」というのが多数派(「普通」)と異なるという意味なのであればそうなのかも知れませんが、往々にしてこのような文脈における「変」にはネガティブなニュアンスが伴います。なので、こういう多数派(「普通」)と異なるということだけでネガティブな評価をする見方が変わって欲しいなと思います。

多数派と異なる対象を排除するとどうなるでしょう。均質な集団になって、めでたしめでたし、とはならないと思います。全くの均質な集団というのは存在しないのではないでしょうか。特定の異なる対象を排除したとしても、残った集団の中から、また少し異なる対象が排除されることになるでしょう。これが繰り返されてゆくと、最後に残るのは1人です。多様性という言葉の対極であるように思います。

話を戻します。集団の中で多数派と異なる行動をとる子どもが1人いたとき、その子ども自体になんらかの原因があると考えることは避けた方がいいんじゃないかなと思います(例えそう思ってしまうとしても)。なぜなら「人」が「問題」の原因なのだとすれば、その「問題」を解決するためには、その「人」を除外するか、矯正するかしかなくなってしまうからです。

除外や矯正というと乱暴に聞こえますが、実際の教育現場においては別の場所に移動させたり、個別指導することは珍しくありません。実質的な除外と矯正です。こういうことを書くと「おまえはその場にいないからそんな気楽なことがいえるんだ」「現場にいたら、そうするしかないんだ」「除外と矯正の何が悪いんだ」「多数派が我慢しろというのか」「分けた方がお互い幸せなんだ」などと言われるかもしれません。移動させることや個別指導させることが悪いと言いたいわけではありません。私が言いたいのは「人」のせいにしても問題は解決しませんよ、ということと、それは「本当に(誰にとっての)問題なのか」考えた方がいいですよ、ということです。

人の行動というものは、一般的に思われているよりもずっと環境からの影響を受けています。そんなことはない、私は私の意思で動いているのだ、と思われるかもしれませんが、その私の意思が環境からの影響を強く受けているのです。例えばテレビCM。お金のかかるCMを何度も流すのは、それによって上がる売り上げがCMのコストを上回るからです。CMという環境に何度もさらされた人がそれに影響されて商品を買ったとしても「私が良いと思って、私の意思で選んだ」というでしょう。

人の行動はかなり環境の影響を受けています。そのため、環境の方をコントロールすることが、人の行動をコントロールすることにつながるのです。なので、ある子どもがなんらかの「問題」のある行動を取った場合、その子を排除したり矯正したりすることよりも、その子にそのような行動をさせた環境要因を分析することが大切になります。環境は人間そのものよりも変えやすいためです。環境の中にある、その子にそのような行動をとらせた要因を見つけ、必要に応じて変えてゆくことが大切です。人を環境に合わせるのではなく、環境を人に合わせるのです。

その環境を分析する視点として重要なのが、本コラム第2回で書いた「時間と空間(いつ、どこで)」と第3回で書いた「理由と方法(なぜ、どうすれば)」という視点です。興味のある方は読み直していただけると嬉しいです。

例えば、自閉症のある子どもが全校集会中に突然並んでいた列から走り出してしまって、どこかにいってしまったとします。こういうことがあったとき「自閉症があるからしょうがないよね」というのはその子に対する理解がある対応と言えるでしょうか。クラスメイトがそう思うのはまあ良いのかもしれませんが、教育する立場の大人がそのレベルで理解を止めてしまうのは、理解があるとは言えないと思います。自閉症があるからしょうがないというのは、原因をその子ども自体に帰属させているからです。他の子は列から外れなかった、その子だけが列から外れた、その子に原因があるのは当然だろう、それが自閉症というものなんだ、とお考えの方もいるかもしれません。しかしながら、そういう考えでは何も事態は改善しないのです。事態を改善する気などないのだ、と言われればそれまでですが。

走り出す前に予兆はありませんでしたか?何かきっかけはありませんでしたか?いつも走り出すのですか?普段何分くらいなら並んでいられますか?どこに向かいましたか?走って追いかけませんでしたか?大きな声を出しながら追いかけませんでしたか?痛がるほど強く押さえませんでしたか?ルールの説明は事前にしていましたか?いつ終わるか伝わっていましたか?本人が困った時に困ったと伝える手段を確保していましたか?

本人が原因だという前に、確認しておくべきことがたくさんあります。どういう条件でそれが起こったのか。条件がわかれば、次はその条件をコントロールすれば良いのではないでしょうか。その条件の見極めが難しいんですよね。わかります。その見立てのコツを示すのが本連載の狙いです。

見立て、とは考え方の軸です。ある現象を見たとき、それがどういう機序でそうなっているのかを分析するための考え方の拠り所です。そしてその考えに基づき、仮説をたて、もしこういう条件でその子が〇〇するなら/しないなら〜きっと□□だろう〜などと検証することで、子どもの行動の背景にある理由を探るわけです。

今回のコラムでお伝えしたかったのは、人そのものより環境条件をみることが、その子どもの行動の理由を知るのに役立つという話でした。

滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 准教授
岡 耕平

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