コラム

  • 2022.03.11
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3.11:世界平和を祈る

東日本大震災が起こったのは11年前の3月11日、忘れもしない2月46分、大阪の本社で新入社員研修を行っていたときである。大きく揺れて驚いた矢先、東京の社員から電話が入り、「大変です、事務所出たらロックアウトされてしまった」と。

大阪の二人が東京に出張していてクライアントから移動中であり、東京の社員もクライアント訪問をしていて連絡が取れなかった。結果的に、無事にそれぞれの自宅に帰ることはできたのであるが、無事、と連絡がつくまでは生きた心地がしなかった。

1万3千人以上のかけがいのない命が失われ、心よりご冥福を祈りたい。

その4年後ではあるが、社員旅行で石巻の雄勝に行った。

廃校になった小学校で、火をおこして皆でご飯を作った。当たり前のことが、おいしいのは当然として、とてもいとおしくて、その夜の星空がまぶしかった。

翌日、職員、生徒のほとんど被災した大川小学校に立ち寄った。

この光景は行かないとわからない、跡形もない学舎だ。

そこに残された建物の壁面に宮沢賢治の詩があった。卒業制作らしい。

~にも負けず、~にも負けず、というフレーズが心に刺さった(「雨」「風」が津波のせいで消えている)。

強烈だったのは、「世界が全体に幸福にならない/うちは、個人の幸福は/ありえない・・・・・」と、「農民芸術概論綱要」の一節が壁画に。

ウクライナへの侵攻に世界中が心を痛めている。

世界が平和、これだけは脅かされてはならないと思う、

世界の人々が、自立と自由が認められ、自分の意志で生きる社会でありたい。

何ができるか、まずは祈るしかないのか。

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