コラム

  • 2019.12.13
  • コラム

岡耕平先生のこどもの見立て学 その1

「壁の向こうに行く方法」

 思うところがあって、このコラムでは(子どもの)見立てに関するテーマで書きたいな、と思うようになりました。

 私の研究は障害のある人の支援をテーマにし、小中学校、高等学校、大学、特別支援学校、就労支援事業所を研究フィールドとしています。多様なフィールドで研究活動を長年続けていますが、いまだに「支援」ってなんだよ、おこがましい、というモヤモヤから抜け切れません。

 障害というのは個人の中にはありません。強いていえば、個人と社会の間にあります。個人と社会の間にある壁のようなものです。この壁をうまくやり過ごす手伝いが支援なんだろうと思います。これは「障害者」の話ではなく、全ての人の話です。

個人と社会の間に立ち塞がる壁をうまくやり過ごすという考え方が、いまの社会には必要なのではないかと思います。自分は社会の中でうまくやれている、と自信を持って言える人がどれだけいるでしょうか。
 ひたすら自分を鍛えて壁をよじ登るという選択もあるでしょう。それが最もシンプルで、選ばれやすく、周りからも求められている選択肢です。でも、ハシゴ(道具)を使って登る選択肢もあるということ、遠回りして壁を迂回する選択肢もあるということ、他人に持ち上げてもらって壁を登る選択肢もあるということ、こういういろんな選択肢があることをまず自覚しておくことが大事だと思っています。

 まずは自助、みたいな考えは好きではありませんが、自分で自分を救ってやるというのは大切なことだろうと思います。人は追い詰められるほどに選択肢が1つしかないように錯覚するものです。選択肢が複数ある、沢山ある、と認識することは自分を助けます。
 実際に研究フィールドで出会う「障害のある」人たち、そしてその人に対して何か支援をしようとする人たちには壁をやり過ごす選択肢を複数持って欲しいと思って私は研究や実践活動をしています。
 その活動の中で感じるのは、壁は認識されているけれど、その壁のやり過ごし方については本人も周りの誰もアイデアがないというケースが多いということです。もちろん、漠然とした壁は認識されています。覚えられない、理解できない、書けない、読めない、友達関係が築けない、意図が伝わらない、相手の意図をよく誤解してしまうなどなど。「できなさの壁」は多くの人が認識しているところです(案外本人は認識できないものなのです)。


 だからこのコラムでは「壁」をやり過ごすための(子どもの)見立てについて書いていこうと思っています。あなたは、〇〇さんは、XXしやすい特性がありますね、などと言われて、言われた本人になんのメリットがあるのでしょうか(「特性」という言葉の問題についてはいつか別の機会に書きます)。
 その人にどんな特徴があるかというのは見立ての片方に過ぎないと思います。もう片方、だからどうすればいいのか、どんな選択肢があるのか、ということを書いていこうと思います。

滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 准教授
岡 耕平

Dr.Oka2019.jpg

ページの先頭へ