コラム

  • 2019.05.07
  • コラム

医療現場のつぶやき :役に立つかどうか

「役に立つかどうか」


こういう記事を見て、落ち込んでいます。

【平成の事件】相模原障害者殺傷
被告と接見19回、手紙34通 ゆがんだ正義と心の闇
神奈川新聞 2019年04月08日
https://www.kanaloco.jp/article/entry-159830.html

タイトル通り相模原障害者殺傷事件の記事で、記者が被告に接見を繰り返して書かれた記事です。

この中で、最後に
「社会の役に立たない重度障害者を支える仕事は、誰のためにもなっていない。だから自分は社会にとって役に立たない人間だった。事件を起こして、やっと役に立てる存在になれたんです」という被告のコメントが書かれていました。

この記事に対して、東京大学の本田由紀先生がツイッターでこのようにコメントされていました。
https://twitter.com/hahaguma/status/1115081669004877825

「自分は社会にとって役に立たない人間だった。」そう考えている人間が、自分よりもさらに「役に立たない」ように見える対象を抹殺することで「役に立とう」とする。
狭く硬く捉えられた「役に立つ」という言葉。

個人的な狭い観測範囲からの感想ですが、ここ10年くらいで「(すぐに)役に立つかどうか」という価値観が他の価値観に比べて相対的に強くなってきてるように思います。

役に立つかどうか、という価値観と相性がいいのがお金ですね。役に立つかどうかというのは、人によって違いますし、規模によっても、領域によっても違うわけです。
ところが、そんな違う領域においても「役に立つならばお金が発生する」わけです(そうでないこともあるとは思いますが)。お金はいろんな目に見えるものや見えないものの交換ツールとして最も効果的なものでしょう。歴史的にもかなり古くから存在しますし、お金の存在が文化や国を大きくし、人類を発展させてきたのだと思います。お金は何か見えないものを量で評価するための最強のモノサシなんですよね。

前回の記事で「目に見えないモノサシによる優劣の比較」であるハイパーメリトクラシーについて紹介しました。今回取り上げる「役に立つ」という価値観は、これに対して「お金」という目に見えるモノサシによって評価され得るわけです。

だからややこしい。

「役に立つならば、お金を生む」
が命題として真だとすると、その対偶の
「お金を生まないならば、役に立たない」
ということになるわけです。
命題が真ならば対偶も真になりますから。そしてこの「お金を生まないならば、役に立たない」に同意する人が多いんじゃないかなって思います。

これが成立しないのは「役に立つならば、お金を生む」っていうのが真ではないときです。つまり命題になってないときです。

「役に立つ」の捉え方が狭いとその命題が成立しているように思えてしまいます。捉え方をもっと広くする必要があるのではないかなと思っています。

そもそも「役に立つ」以外にも社会で重要な価値観はいろいろあるということについても強調しておきたいと思います。

無理やり医療の話につなげます。

地域医療の話です。今後、社会の高齢化が進み、地域医療が重要になります。
いや、もうなってますけど、ますます重要になります。
地域医療というか、これからの医療の課題として大きなものの1つが「治療できないものを医療としてどう対応するか」だろうと思います。

低下する機能。今の科学技術では「治る」ものではありません。
「治らないものは(本来は)医療の対象ではない」と話される医療者の方に何人もあったことがあります。

字面だけ見るとネガティブな印象を受けますが、要するに、現在の医療技術で治せないものは存在し、そういう対象については医療以外の領域からのアプローチが必要だ、ということなのだろうと思います。

これは今後の地域医療社会を考える上でとても重要だと思います。加齢による機能低下や認知症は現在の医療技術では治癒できるものではありません。なので、地域医療には「治す」以外のゴールと、どの程度まで治るか治らないか以外の評価のモノサシが必要だろう、医療以外の知識が必要なのだろうと思います。

リハビリによる機能低下防止や、介護による生活介助(リハや介護の役割はこれだけではありませんが)以外にも、何か他のアプローチがあってもいい、あるべきではないかと思います。そこで出てきた概念こそ生活の質(Quality of Life: QOL)なんでしょうし、モノサシもあるんですけど。

お金というモノサシが強すぎてお金の前ではQOLなんて吹き飛んでしまうのではないかとさえ思います。

強い価値観の前に、我々は黙らざるを得ないのでしょうか。価値観は多様であるべきだ、それが社会が生き残る方法なんだ、と個人的に思っています。

毎度のことながらよくわからないふんわりした終わり方です。ふんわりしたことをいってもリジェクトされないコラムという存在はありがたいですね。

滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 准教授
岡 耕平

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