コラム

  • 2018.10.18
  • コラム

好奇心を大切に。

前回、翻訳って難しいという話をしました。自分ではない人が考え、自分ではない人に届けるメッセージの橋渡しをする。翻訳は、ある言語から別の言語にするものと考えられがちですが、そもそも母国語であっても自分の知らない世界の話は理解するのさえ難しい。

先日、農業IoT関連のインタビューに行きました。最先端の研究を用い、健全な土壌、環境を保全し、食糧生産と環境問題を両立するというわくわくする話でした。その際、インタビューをされる人(農業研究の専門家)とインタビューア(園芸はするが、農業の専門家ではない)で話がかみ合わないのです。肥料に使われる「尿素」が、一般的に「無機肥料」と呼ばれるが、別の研究局面では、「有機」と呼ばれることがわかるまで30分。お互いにそれぞれ「有機」「無機」とよぶものが、実は同じものだったのです。理由は、尿素は炭素が含まれる「有機化合物」。一方肥料として売られる尿素は、「無機肥料*」と呼ばれます。

同じ言語の同じ単語を使っても、その単語が使われる背景、業界、使っている人の教育水準によって意味が変わってきます。

自分が理解している単語の意味が、必ずしも自分が理解している意味だけでつかわれるとは限らない。自分がその単語の幅広い意味を理解していないだけかも。文脈だけでなく、その文章を書いた人、その文章を書いた目的、文章が使われる環境、読み手によって変わってきます。

英単語は英日辞書で引くのではなく、英英辞書で引くようにと言われたことがあります。英日辞書で対応する日本語の意味が必ずしも英語の単語の意味と一致しない。単語の置き換えのみをしていると、意味の中心点を見失います。これは、母語である日本語を使う時も同じだ。

まずは疑ってみましょう。今年ノーベル医学生理学賞を受賞された本庶佑の言葉。「一番重要なのは、何か知りたい、不思議だと思う心を大切にする。教科書に書いてあることを信じない。本当はどうなっているのかという心を大切にする。自分の目でものを見る、そして納得する。そこまであきらめない。」

翻訳も同じだと思います。

*「鉱物(リン鉱石など)から精製・製造された、あるいは工業的に合成された肥料」Wikipediaより。

(by 佐々木 薫)

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