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  • 2019.08.01
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医療現場のつぶやき 「生活環境はその人の一部」

第10回「生活環境はその人の一部」

介護職の方や、ケースワーカーの方と雑談するなかで、ときどきうかがう話があります。

「場所が変わると認知症が進む」

という話です。
これに相当するエビデンスをまだ調べ切れていないので、上記の話は「話半分くらい」で読み流していただければと思います。
じゃあ書くなよ、という話なのですが、多くのプロの方が異口同音に同じ内容について言及されるので気になっています。
仮に、冒頭の話が事実だとすれば、それはなぜなのでしょう。

私はいろんなことを考えるとき、まず「自分ならどう感じ、何を考え、どう行動するだろう」と想像してみることにしています。

私が歳をとって、今まで慣れた環境を離れて新たな環境に入れられたら...
まず、嫌でしょうね。
ワクワクよりも不安が勝ると思います。理由に納得すれば環境を受け入れるための努力はすると思いますけど...。それでもやっぱり、勝手の違いに戸惑うでしょうね。何から何まで違うわけですから。物理的にも全く違う環境になるわけですが、人間関係など社会的にも全く違う環境になるんですよね。かなりの身体的、心理的な負担になると思います。

そんな負担の多いなかで、うまくいかないこともあるでしょうね。歳をとると生理的にも認知的にもいろんな機能が衰えるわけですから。

余談ですが、認知機能について、「発達のなかで後から身についたものほど先に失われていく一方、はじめの頃から身についていた能力は歳をとっても失われにくい」という説があります。複雑な認知の働きほど早く失われてしまうというわけです。なので若者が「これくらいどうしてできないの?」ということができなくなることもあるのです。

そんななかで、環境が変わる。
当然、うまくいかないと思います。

周りから見れば「こんなこともできなくなったの?」と思われることもあるでしょうね。

と、「場所が変わると認知症が進む(ように見える)」の背景にはこんなことがあるのではないかと思います。

ということは

「場所が変わっても『場所が変わらなければ』認知症は進まない」

という仮説が考えられませんか?
要するに「物理的な場所が変わったとしても、可能な限り自宅の環境を再現すれば、認知症が進んだように誤解されることは少なくなるはずだし、不要なレッテルを貼られずに尊厳を保つことができるのでは?」ということです。

例えば、スウェーデンの入所施設では可能な限り、それまで住んでいた家のモノを施設に持ち込んで環境を変えないようにする、と聞いたことがあります。

理由までは聞けませんでしたが、きっと先のことを考慮されてのことではないかと思います。

ところで全く話を変えていいですか?

福祉関連の話になると、良い例としてスウェーデンやフィンランドといった北欧の国が取り上げられますよね(最近は減ってきましたが)。

少し前に見た映画に「幸せなひとりぼっち」というスウェーデンの映画があるんです。いい映画でした。オススメです。

いや、そんな話じゃなくて。いい映画っていう部分は本当なんですけど。この映画のワンシーンで、認知症のレベルが進むと半強制的に施設に収容されるようなシーンがあるんですよ。これ、本当の政策としてはよくわからないのですが(ざっと調べたのですがわかりませんでした。ごめんなさい)、映画の中ではちょっとした悪徳業者がコミュニティの中で条件に当てはまる高齢者を強引に入所させようとするシーンがあるんです。

え、スウェーデンってそういう闇もあるの?!という驚きがありました。いや、本当なのかどうかわからないんですけどね。

ごめんなさい。話が逸れすぎました。
話をまとめますと、

①認知症という「人間に現れる症状」と考えられているものは、「人間だけの状態ではなく、人間と環境のセットで生じる症状」と考える必要があるのではないか。
②人間と環境のセット、というのはその人間(本人)が自己決定できるような仕組みをちゃんと制度として持っておく方がいいのではないか。

ということです。
場所を変えられて、うまくいかなくなって、認知症が進んだと言われてしまう。
こういう状況を作らせない、作らなくて済むような仕事をしていきたいなと思っています。

滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 准教授
岡 耕平

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