知る

  • home
  • Topics
  • 知る
  • 医療現場のつぶやき : コミュニケーション能力という共同幻想
  • 2018.09.20
  • 知る

医療現場のつぶやき : コミュニケーション能力という共同幻想

第5回「コミュニケーション能力という共同幻想」

コミュニケーション能力って、大切ですよね。ここを疑う人はまずほとんどいないと思います。

ところで、コミュニケーション能力って何ですか?
人の話を聞く能力?
状況に合わせて適切なことを言う能力?

いろんな意見があるとは思いますが、明確に定義づけできる人はまあいないと思います。ましてや、コミュニケーション能力というものを測ったり、客観的に誰もが納得できるかたちで評価できる人はもっといないでしょう。
もちろんコミュニケーションを専門にしている研究者の間では定義があるでしょうけれども、おそらくその定義通りに一般の人は解釈していないと思います。コミュニケーション能力というのはもはや一般用語になっていて、私たちの身の回りにはコミュケーション能力という言葉があふれています。自身でその言葉を使われることもあるでしょう。企業が採用時に重視する能力としてコミュニケーション能力を挙げるといった話もよく耳にします。

「高いコミュニケーション能力」、「コミュニケーション能力を高める方法」などの言葉を聞く限り、どうやらコミュニケーション能力というものは高いとか低いとかいうことが評価できるようですね(?)。

このように、実際には定義も測定方法もないにもかかわらず、多くの人が「ある」と信じている「能力」によって「個人の優劣」を評価するということをハイパー・メリトクラシーと言います。社会学者の本田由紀先生が作られた言葉です。「多元化する『能力』と社会」という本に詳しく書かれています。

メリトクラシーとは能力主義や業績主義と訳されていて、特定の能力の優劣評価を重視する考え方です。この考え方が良いとか悪いとかそういうことではなく、メリトクラシーは私たちの生活場面でいろんな物事の判断基準になっている、ということをここで強調しておきます。資産、販売実績、テストの点数、などなど。例えば学力というものは目に見えませんが、少なくとも集団で同じテストを受けることで点数というモノサシによって評価されていますね。

ハイパー・メリトクラシーとは、こういうメリトクラシーをさらに超える能力を対象とした価値判断基準なのだと思います。ハイパー・メリトクラシーは私たちの生活のなかでいくつも観察されます。「コミュニケーション能力」をはじめ、「問題解決能力」や「女子力」など。

ところで女子力という言葉を目にする機会に比べると男子力という言葉を目にする機会が少ないのはなぜでしょう。そもそも女子力って何なんでしょうか。飲み会のときにサラダを皆に取り分ける能力のこと?そんなわけないですよね。

よくわからないけれども多くの人が「あると信じている」。そういう価値判断基準。
こういう価値判断基準が自分の価値判断基準になっていると考えると、なかなかリスクが大きいなあと思います。
たとえば自分のコミュニケーション能力が低いということで悩む人はどう考えればいいでしょうか。
対策の立てようがないんです。なにせ、コミュニケーション能力を構成する外的な拠り所がないわけですから。

コミュニケーションの問題について考えるとき、私は綾屋紗月さんの指摘を思い出します。
綾屋さんは研究者であり、発達障害の当事者でもあります。綾屋さんは「つながりの作法」という書籍の中で、コミュニケーションは2名以上いないと成立しないのに片方だけがコミュニケーション能力が低いなどと決められてしまうということを問題として提起されています。
コミュニケーションというのは相対的な関係のなかで成立しているものなんですね。相対的な関係で成立している以上、片側の、ただ一人の人間を変えることだけで問題を解決しようとすることには無理があると思います。自分の中にないものは変えられないわけですから。

神学者のラインホルド・ニーバーさんの言葉で有名なものがあります。

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, courage to change the things which should be changed, and the wisdom to distinguish the one from the other.

宇多田ヒカルさんの Wait & See という曲の歌詞にこれをきっと引用したと思われる「変えられないものを受け入れる力、そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ」という部分がありますね。

ハイパー・メリトクラシーという価値判断基準が溢れる世の中で、自分にとって何が変えられるもので何が変えられないものか、分けて考えていくことが大切なのではないかと思っています。変えられるものに時間と努力を割くことは有意義だと思いますが、変えられないものに対してコストをかけることは有意義ではないと思います。

滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 准教授
岡 耕平

Dr.Oka.jpg

ページの先頭へ