2010年6月アーカイブ


前回に続き英語から日本語への訳について考えてみます。

訳というと誰が訳そうと同じ文になると思われるかもしれませんが、そうでもありません。
訳をした場合に訳者の日本語感覚が出てくるのが日本語でいう助詞です。S+V+O+Cとあれば「(主語)は(目的語)を(補語)に(動詞)する」といった助詞のことです。学校の英語の授業は英文法についての話ですから、日本語の助詞について学ぶことはないでしょう。よって、少しややこしく思われるかもしれません。そういうこともあるのか、くらいの感じで読んでください。
この「は…を…に…」という助詞の使い方は授業ではよいのですが、社会一般での文章や医学日本語では案外そうとはなっていません。今回は、主語(日本語文法では「主格」)について考えてみます。
日本語に主語はいらないといった目を引く言い方をする方もおられます。しかし、日本語にも主語はあります。ただ、いつも「は/が」で表現されるものでもなければ、表現されないこともあるだけで存在はしているのです。つまり、日本語と英語の主語は、表現法が同じでないというだけの話です。

では、訳の場合はどうなるのでしょう。訳ですから、英語の主語を訳出しなくてはなりません。日本語の主語は、「は/が」と訳す場合が多いのは事実です。が、それ以外にも「によれば」「を」、「について/関して」など案外、バラバラな訳となっているものです。
日本語原稿が「糖尿病の発症機序や病態に関しては、インスリン分泌の障害とインスリン作用の障害の両面からとらえる必要がある。」となっている文では、「糖尿病の発症機序や病態は」と同じことなので、英訳も Regarding, As for, Concerning などで始めてはいけません。口調を整えるための日本語のレトリックですからね。
「は/が」は、英語の主語が人の場合には問題がないようです。しかし、非人称の場合は様々に訳せます。

短い例文をみてみましょう。

Conclusion: Application of an AED in communities is associated with nearly a doubling of survival after out-of-hospital cardiac arrest. These results reinforce the importance of strategically expanding community-based AED programs.

"直訳"してみると、"(病院でなく)一般社会における AED の適用は、院外心停止後の生存率がほぼ 2倍上昇することに関連していた。これらの結果は、地域ベースの AED プログラムを戦略的に普及する重要性を強調している。"となります。
これで訳として問題はありません。しかし、いずれもネイティブ日本語ではありません。"その結果は重要性を強めるものである"とは訳の世界の表現形であり、一般的に使われないからです。

そこで、日本語のニュアンスを変え、著者の意図をより正確に記述する工夫をこらします。それは、その人の日本語感覚により決まってきます。
日本語は、あいまい文法と呼ばれるくらい定則がありません。文法よりも訳者の言語感覚が良し悪しを決めるのです。

特にその技量が試されるのは、主語が非人称名詞の場合です。英語で非人称の主語がくるのはごく普通です。上の例では Application is associated と Results reinforce がその例です。それをそのまま訳すと、訳だからと開き直ることはできても、日本語のニュアンスのうえでズレを生じたり、スッと頭に入ってこない文となったりします。
医学日本語の場合、文として落ち着くのはやはり人が主語となることです。ですから、(1)"人"を表出するか、自明の場合は省略した間接表現とします。"(病院でなく)一般社会に AED を設置することにより院外心停止後の生存率をほぼ 2倍に上昇させることができた。"とすると"我々が設置した"こととなり、著者の行ったことの目的と成果が明確となります。

続く文も人が存在しない文ですから、人称主語をとれないケースです。主語を「は/が」としない方法の他に(2)動詞reinforceを細工(意訳)する方法があります。
"これらの結果から、戦略的に院外を基本とした AED プログラムを普及させることの重要性が(reinforce the importanc)さらに高まった/より一層明らかとなった。"
内容的に解釈した意訳ですね。日本語慣用表現とするための細工です。

例をもうひとつ。

Conclusion: Adding plaque and carotid intima-media thickness (CIMT) to traditional risk factors improves coronary heart disease (CHD) risk prediction in the Atherosclerosis Risk In Communities (ARIC) study

文型は(S)Adding (V)improves (O)risk prediction です。直訳すると"ARIC 試験では、プラークと CIMT を traditional risk factors を組み合わせることが CHD リスク予測を向上させた。"となります。

この文も非人称主語ですが、"加えることが向上させた"では座りがよくありません。動詞に細工をしてみます。"ARIC 試験では、CHD リスク予測において、プラークの有無と CIMT をtraditional risk factors と組み合わせることによりその精度を上げることができた。"(つまり、「我々」は試験の目的を達成できた、というニュアンス。)
要因の組み合わせにより精度をあげたのは「我々」です。主語の"組み合わせることが"に代わり(表出しない)"我々が"を主語とすることにより文の内容に主体性を持たせることができるのです。

医学日本語と英語では表現形が違い、言葉で We が表出されていなくとも内容は We であることが結構あります。それを見分け、主体性を持たせると読み手に対するインパクトが強くなります。"~を組み合わせること CHD リスク予測を向上させた。"と"組み合わせることにより CHD リスク予測を精度を上げることができた。"とでは明らかに意味の伝わり方が違うでしょう。
英語は動詞の種類が多いのです。それにより非人称の名詞が主語である文が多くなります。

翻訳した文が日本語の慣用表現か否かを考え、必要に応じ、主語か動詞をリアレンジすると読み手に優しい文章を書くことができるようになりますよ。