今回からしばらく英語から日本語に訳した場合の読みやすさについて触れてみます。
翻訳ですから、まずは、単語からです。
単語にはtechnical term(学会・業界)と一般語があります。Technical term は一種の記号のようなものです。
例をあげて説明すると、火事の時に掛けると消防車が飛んでくることの符号は、日本では 119番ですが、アメリカでの符号は911番になります。これらの 119番と 911番は符号として一致していません。
しかし、technical term は、辞書やガイドラインを通して日英語が対応し、国に関係なく意味が伝わる記号となっています。例えば、CMC の分野で specificity とあれば「特異性」と表現され、"共存が予想される不純物、分解物、配合成分等の存在下で、分析対象物を正確に測定できる能力のことである" ことだと理解できますし、in vitro cell age とあれば「in vitro 細胞齢」と表わすことにより "マスター・セル・バンク(MCB)の融解時より、製造容器から培養細胞(又は培養液)をハーベストするときまでの時間的尺度で、培養期間、細胞数倍加レベル(PDL)又は培養細胞液を一定の倍数で希釈して継代する場合の細胞継代数で示される" ものであることが分かるようになっています。つまり、technical termは、知識として知っていれば済む問題です。
読みにくさに関係するのは一般語です。Technical term と違い、辞書にある一般語の符号は、国際的合意のなされているものではありません。あくまでその国の言葉の中であえて当てはめればといった表現であり、辞書にある語彙が訳語として常に適切かどうかは分からないのです。
翻訳経験の浅い方の中には、翻訳=辞書訳(辞書にある訳語から選択する)と勘違いされている方がおられますが、その意識は変えていかなくてはなりません。
Over the subsequent 6 weeks, the implementation of border-control measures -- including requirements that travelers entering Australia declare whether they have symptoms of influenza or have been in contact with someone with severe respiratory illness and that contacts of persons with known influenza e traced -- gave the health care community time to learn more about the natural history of the new influenza strain.
下線を引いた語彙は、訳の自由度の高い語彙(=一般語)です。内容は、WHOによるパンデミック警戒発令を受け、オーストラリアが入国管理を実施した結果を要約したものです。
一例をあげますと、natural history of the new influenza strain を "新規インフルエンザ株の歴史" または "新型インフルエンザ菌株の発生履歴" のように訳すことを辞書訳といいます。
警戒発令から6週間、オーストラリア国内でインフルエンザの広がり具合や菌の分析から菌株の変遷を追跡したという内容であり、history とは歴史でも履歴でもありません。
Dictionary における history の説明は、a continuous, systematic narrative of past events as relating to a particular people, country, period, person, etc, usually written as a chronological account (dictionary.com)ですから、ワンパターンに"歴史"と訳すのではなく、continuous, systematic narrative of past events を場に合うようリライトするのです。辞書訳に拘らないことが単語訳についての最初の留意点となります。
次に留意すべき点は、名詞にくっつく"の"や"で"といった助詞の使い方です。名詞の後には"の"や"で"がよく続きますが、それだけでは内容に欠けた、意味のとりにくい訳文となりがちです。"菌株分類・保存の歴史" といったものなら意味は明瞭ですが、"新規インフルエンザ株の歴史/履歴"と訳すと"なんだろう"と読み手は混乱します。特に、"の" は助詞の中でも用法が複雑な助詞です。気をつけなくてはいけません。
他の例をみてみます。
Conclusions: Application of an AED in communities is associated with nearly a doubling of survival after out-of-hospital cardiac arrest. These results reinforce the importance of strategically expanding community-based AED programs.
例えば、community-based AED programs は、直訳すると "地域ベースのAEDプログラム"となりますが、これだけでは意味がとりにくいですね。"の" だけでは不十分なのです。
英語は、語順で内容を伝えるものです。それを簡単に(下線部)"AEDの適用"、"院外心停止後の生存率"、"地域ベースの AED プログラム" などとすると分かりにくいのです。なぜなら、次に説明するように、日本語では、意味形成の補助をするニカワのような表現が必要となるからです。
そこで、第三の留意点として、咀嚼という技術が必要となってきます。例を挙げます。
上記 AED に関する文章では、下線部が問題を起こしそうな一般語です。まずは辞書訳をしてみます。次のようになるでしょう。
"地域社会における AED の適用は、院外心停止後の生存率がほぼ2倍上昇することに関連していた。これらの結果は、地域ベースの AED プログラムを戦略的に普及する重要性を強めるものである。"
in communities" を "地域社会における" と訳して問題はありません。しかし、"地域社会における AED の適用"となると読み手の解釈・想像が様々となり、著者として意図するところを伝えられません。
同様に、out-of-hospital を "院外" とするのはよいのですが、"院外心停止後" となると読み手は、あまり使わない表現であるため、"院外、院内、なんだろう" と考えなくてはなりません。
is associated with は "関連していた" ですが、"地域社会における AED の適用は…関連していた" は日本語として自然語ではありません。
Medical writing は小説ではないので、誰が読んでも単一の解釈とならなくてはなりません。読み手の解釈が一定しないのは文章としてはマズイのです。よって、原文を咀嚼した訳が大切となります。
咀嚼ですから、訳者それぞれにリライトしてよいのですが、上の辞書訳と対比しつつ読んでみてくだい。
"社会のあらゆる場所に AED を設置することにより、病院(という治療可能な場所)以外の場所で心停止を起こした場合の生存率をほぼ 2倍とすることができた"。
These results は "これらの結果" ですが、日英語の違いとして、"これらの結果は" とせず "この結果は" とします。
reinforce は "強める" ですが、"この結果は、…の重要性を強めるものである"は英語的日本語表現ですから、日本語としての自然語表現に変えてあげます。" この結果は、病院から地域へ AED プログラムを戦略的に拡大することの重要性を強く示唆するものである"で読みやすくなりませんか。
以上、辞書訳にこだわらず、語の組合せを理解しやすいものとし、表現全体を、意味を咀嚼した自然語とする、というのが今回のポイントです。