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たくみの匠

ASCA顧問 石田匠氏の翻訳ノウハウを公開!

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 最終回:ひらがな、「の」

昔、日本は中国から文字を輸入しました。中国語では、漢字の語順でそれぞれの語の役割が決まります。日本語では、語順に明確な決まりがないため、ひらがなをつけて語の役割を決めます。ですから、漢字を輸入した後、日本人は、漢文の読み方に苦労しました。

誰もが簡単に漢文を読むために工夫されたのが、漢文の列の左右につける「レ(返り点)」や「一、二」といった読み順を示す記号であり、送り仮名です。この漢文につけた送り仮名が鎌倉時代以降「てにおは」と呼ばれるようになりました。

今回、「の」を取り上げたのは、読みにくい日本語訳には「の」が多いという印象からです。
英文法における「の」は、ofに代表される所有の意味として現れます。それ以上の説明はないのではありませんか。
日 本語文法における「の」の役割は、極めて多様であり、それだけで一冊の本が書けるほどです。しかし、翻訳の分野では、日常ほどの役割は必要ではありません から、代表的な役割さえ意識すれば読みやす訳文とすることができるでしょう。今回は、大出晃著、「日本語と論理」をベースにお話しします。(註、文法学者 により解釈がまちまちで、全ての学者が同じ説明をしているのではありません。)

「は」や「が」など、「てにおは」には決まった役割があるのですが、「の」は係り(修飾という意味)が広いため極めて使い勝手のあるひらがなです。

  1. 所有格:「A社の新薬」では、「A社がもっている新薬」ですから所有の意味です。
  2. 主格:「A社開発中の新薬」では、「A社が開発している新薬」ですから意味的には主格となります。
  3. 目的格:「改善度の確認」では、「改善度を確認」ですから、意味的には目的格となります。
  4. 陳述を示す「だ」の連体形:「A社の開発中新薬」の「開発中の新薬」では、「開発中である新薬」ですから、「である」という陳述になると解釈されます。
  5. 形式名詞:「…が/は…である」の形(例、「白血球数が最低値となるは治療の1週目」)では、「こと」「わけ」「もの」「ところ」「はず」と置換できるとされ、「最低値となること」と名詞化する役割を果たしていると説明されています。

こ の名詞化は、一般的に認識されてはいませんが、重要な役割であり、外国人が「私、昨日、スカイツリー行ったのことね。」と言うことがあります。「の」は、 その前にくる文を受けて、それを名詞扱いにすることができます。しかし、この名詞化は、便利ですが、時に、見慣れない表現を生みやすいので注意が必要で す。
日本語訳における「の」の問題=読みにくさは、不要な「の」の使用と上記の用法にそぐわない使用法、そして 5)の名詞化です。
訳文がこれら3つの「の」の問題にあてはまらないかどうかは、一般論として、ひらがなの用法にキチンとした文法ルールはないため、ニュアンスを感覚的に磨いていくしかないでしょう。

例文1: …in the escape time   脱出時間
 この場合の「の」は不要な「の」の典型です。「脱出時間」とします。丁寧に表現しょうとしてひらがなを多用してはいけません。

例文2: …in the 4-week multiple dose study in the rat   ラット4週間反復投与試験
  英語の前置詞はひらがな表記が普通です。そのため、ひらがに訳すと決めてかかってる方がいますが、そうではないので、全てを訳そうとしないほうがよいので す。また、この「の」を所有格か主格かと考えるとヘンであることが分かります。「A社の反復投与試験」であれば「A社が実施した」という意味で成立します が、ラットでは成立しません。そこで、Medical Japaneseの日本語表記として一般的表現は何かと考え、「ラット4週間反復投与試験」または「ラットにおける4週間反復投与試験」とします。

例文3:The NOAEL was 100 mg/kg, with a human equivalent dose of 16 mg/kg.   NOAELは、ヒトにおける相当用量が16 mg/kgであったに対し、100 mg/kgであった。
 これが名詞化です。英語は中国語同様、語順で格が決まりますから日本語の助詞にあたるものはありません。どのようにひらがなを使うかが個人により違うため、訳文が100人100様となるのです。

例文4:single dose safety   単回投与安全性、risk of toxicity   毒性作用リスク
 この「の」は役割が不明です。安易に使われたものだと思います。「単回投与時の(被験薬の)安全性」、「毒性作用発現のリスク」とすれば理解しやすくなります。

「の」で多い問題の中に「の」の連続があります。「の」がふたつまでであればよいのですが、3つ以上になると修飾?被修飾関係がややこしくなるため、読み手は読み返しを必要とします。スラッと読めなくなるのです。

例文5:これら被験者薬力学的反応
 この表現で、「これらの」は、被験者にも、薬力学的反応にも係ります。

他のひらがなと違い「の」は語彙と語彙を簡単につなげることができます。便利なボンドですね。簡単にフレーズを作れるため、なんとく多用されるわけです。
「の」の誤用を避けるには、再読してみて、なんとなくヘンだと思ったら「の」の用法を再考し、リライトすることです。気を付けるだけでもよい文章が書けるようになります。