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 第27回:パンとファウヌス

精神疾患のなかに「パニック障害 panic disorder」というものがあります。以前は不安神経症と呼ばれていたのですが、その一部が独立した疾患として認められるようになったのです。パニック障害は、パニック発作、予期不安、広場恐怖などを主な症状としますが、「パニック」と言えば説明不要なほど、日本語で日常的に使われる言葉になっていますね。「パニクる」という動詞まであるほどです(笑)。

「パニック」という言葉は「パン Pan」というギリシャ神話の神様の名前からきています。神様といっても、ヤギの下半身と角と耳を持ち、葦笛を吹きながら森や野原をさすらっています。その姿から日本語では「半獣神」と訳されたりもしますが、「牧(羊)神」という訳語もあるように牧羊(羊飼い)の守り神でもあります。古代ギリシャでは、家畜の群れが突然落ち着かなく騒ぎだし、逃げ出したりする現象をパンの神のせいだと考え、それで「パニック」という言葉が生まれたのだそうです。

前にも幾度かギリシャとローマの間には神様の対応関係があるという話をしましたが、ギリシャ神話のパンの神に対応するのは、ローマ神話では「ファウヌス Faunus」(英語でフォーン faun)です。ギリシャと違うのは、女性名で「ファウナ Fauna」という女神もいることです。これは、ファウヌスの妻とされたり、娘や姉妹とされたりするようです。生物学で「動物相」と訳される「ファウナ fauna」というのもここからきています。これに対して「植物相」と訳される「フローラ flora」というのは、やはりローマ神話の花の女神「フローラ Flora」に由来します。フローラという言葉自体は、ラテン語で「花」を意味する「フロース flos」から作られたものです。

そうしてみると、「細菌叢」のことを「フローラ」と呼ぶのは矛盾しているように見えますが、実は細菌というのは現在では「動物」でも「植物」でもないとされているようです。ですから、動物と植物のどちらに属する概念でも使えるということなのでしょう。ちなみに、「動物」と「植物」も含めた「生物相」は「ビオータ biota」と呼ばれますが、これはギリシャ語で「生命」を表す「ビオス bios」に由来し、biology を始めとして広く英語でも使われています。ついでに、ローマ神話でファウヌスと似た神様に「シルウァヌス Silvanus」という森の神様がいます。これはラテン語で森を意味する「シルウァ silva」に由来する名前で、「育林(silviculture)」などの言葉を生んでいて、「樹林誌」(「樹木」の植物相)のことを「silva」と言います。また、欧米系で女性の名前で使われるシルヴィアも同じ語源だそうです。

 

参考文献:
『新英和大辞典』(研究社)
Wikipedia
 

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19世紀ドイツの画家ベックリンの描いた葦笛を吹くパン。